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Happy Life ~あなたにはあなたの人生~

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相談できるくらいなら、こんなに苦しまない

2016/01/09 Sat

始業式のタイミングで、
中高生の自殺が多いとニュースになっています

新学期の教室に入るのが辛い、学校へ足が向かない、
その苦しみはいかばかりでしょう
大人だって、会社に行きたくない、同僚に会いたくない、
そんな人も少なくないはずです

そんな人たちが、どんな気持ちで年末年始を過ごしたのか
家族の温かみに触れて、なおさら現実世界に戻りたくなくなったのか
そんなことを思うと本当にやり切れません

こんな現実を憂うニュースに、コメンテーターが、
  私たちは何ができるのでしょう、
  とにかくまずは相談してください、
というようなことを言っていました

いやはやそれを聞いて、
  相談できるくらいなら、こんなことにはならないんだよっっ
って、思いっきり突っ込んでしまいました

今、おとな、だという人たちは振り返ってほしい
自分が中高生の頃、親に相談なんてしましたか
もしなんでも話して、相談して、解決していたなら
どんだけあなたは素直な子どもだったのでしょう

例えば友達関係のこと、好きな子のこと、学校のこと、
将来の夢や空想、体調のことだって、私は親に言わなかった
言うとしてもそれは、仕方なく進路の相談とか先生の愚痴とか、
とてもなにかを相談するというレベルの話ではなかったはずです

確かに今の時代、友達親子みたいな仲良し関係が増えていても
子どもが全部本当のことを親に話しているかなんてわからない
むしろ心やさしき今の時代の子どもの方が、
親を慮って、例えばいじめなんて簡単には口にしないでしょう

相談、って、簡単なことじゃないんですよ
おとなだってそうでしょ
特に日本の場合は、カウンセリング文化には程遠い
内に秘める美徳は、もはやDNAレベルの話だと思います

だから簡単に、相談しなさい、なんて
言ってほしくないし言われたくないよね

しかも相談して解決なんてしないじゃん、
なにをしてくれるの、って、
クールな思考がますます本人を追い詰めるとしたら
解決への選択肢にはならないのです

じゃぁ、どうすればいいのか、
なんて、本当はどうしようもない
おとな、は、手を拱いて見ているしかない??

いえいえ、実際には、おとなは見る以前に、気がつかない

気づいているなら、相談以前に向き合えばいいことだから
お節介がられてもうるさがられても、そこは命がけで向き合う
それが周囲のおとなの本能だから、本気で向き合う
そうなったときに、子どもは救われるんです

だけどあいにく、子どもはそんな姿を簡単には見せないし
あとで、あれがSOSだった、なんて言ったとしても
見極める余裕がないおとなを責めることはできません

だからね、おとなは、
子どもたち自らが抜け出す手助けをするしかないのです
その苦しみは自分だけのものじゃない、ってこと、
その苦しみは永遠ではない、ということ、
人生のほんの少しのときをやり過ごせば、
そこにはちゃんと自分の人生がある、ということを、
ちゃんと教えていかなくちゃいけないのです

それは決して、言葉でとか手取り足取りではなく、
多くの良書に触れる機会を持たせる、
たくさんの芸術を知る、
自分の知らない広い世界を見せる、

つまり、
  想像力を育む
ということに尽きると思っています

自己肯定感の低い日本人は、狭い世界での調和ばかり求めがちで
そこにそぐわない自分を責めてしまいます

でも、広い世界に目をやれば、自分がおかしいのではない、
ってことがわかるはずです
頭での理解ではなく、感性で知ること

思い切って入った相談室で、
教科書で学んだトンチンカンな答えを出されるより
ピカソの絵の前で隅々まで見てときを過ごす方が、
トルストイの本を一冊読み通す方が、
あるいは、捨て猫といっときを共に過ごす方が、
どれだけ人生のヒントを得られるでしょう

私自身、相談室という看板をあげていますが
それはもう下ろすつもりでいます

もともと長女の学校のスクールカウンセラーに失望し
自分で学ぼうとメンタルケアの資格を取りましたが
相談、っていうことに違和感があってなりません
傾聴しかり、ひとは背中を押してほしくて「相談」するのです
ぶっちゃけ、だから日本人にはカウンセリングよりも
「占い」の方が向いているかもとさえ思います

中高生がもしこれを読んでいたら、心にとめてください
おとなになると時間の流れが変わります
恐ろしい変化です

あなたの長くて苦しい一年は、
おとなには悲しいほどに早い一年なんです
あなたが早くやり過ごしたい日々は、
おとなにはもう一度やり直したい愛しい日々なのです

生まれてきたこの人生、
与えられ全うできる時間は皆違う
だけど、その人生の主役は自分だし、
それを投げ出す権利はないのです


あなたが死にたいと思った人生を
代わりに生きたいと切に願うひともいる

以前も書きましたが、繰り返します


  お前が無駄に過ごした”今日”は
  昨日死んだ誰かが
  死ぬほど生きたかった
  ”明日”なんだ
      (出典はfacebook拡散なのでよく分かりません)


この言葉は、確かに毎日を無駄にしてしまってる自分への戒めであり、
死ぬほど苦しむひとへの、生きるべき道標だと思っています


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仕事は楽しく、だけではない

2015/11/11 Wed

夢見がちな高校生時代、進路調査の希望欄に
『カメラマン』『映画評論家』と書いて先生に叱られました

先生曰く、現実を書きなさい、ということで
そうか、夢っていうのは現実ではないのか、
反抗心とも絶望感とも諦めともつかぬ気持ちになったものでした

それでも結局、映画の専門学校へ進んでから撮影所に入り、
夢、とは程遠い現実にもがき苦しみながら20年近くを過ごし、
足を洗った今では、自分のブログで映画評なんかを書いています

一見夢がかなったかのような撮影所での生活でも
記録(スクリプター)の師匠は真っ先にこう言いました

  好きなだけじゃ仕事は出来ない

そうなんです、こういう世界だから
憧れて入ってくる人はごまんといるけれど
仕事の厳しさや経済的な苦しさで辞める人がほとんど
特に若い女性が埃にまみれて早朝から深夜まで、
安いギャランティで、ときに怒鳴られ、ときに責められ、
メンタルも強くなくちゃやっていけない

そうなると、もう好きとか嫌いじゃなく
やりぬく根性だけの問題なのだと実感しました

先日、映画の編集者たちの集まりがあり
大先輩が若手に言った言葉が忘れられません

  仕事なんだから、しんどいのは当たり前

なるほど〜
どうもひとは、仕事を楽しみたいと思いがちだし、
どうせやるなら楽しく、と思うのは自然なこと、
好きなことが仕事になればなお幸せなこと…

だけど、よく考えて、報酬を得ることは仕事の対価であり、
お金を得るにはプロフェッショナルの責任を伴うのは当然
厳しい結果を要求されて当たり前、
要望以上の結果を出してこそプロともいえる、ということ
これが特に自由業的な仕事に従事していて求められること


多くのひとが、生まれて初めてのアルバイトで
お金を得るということの大変さを知る経験があるでしょう
当たり前に思っていた親の支援に感謝することもあるでしょう

そして現実に自分が働き始めたとき、
仕事で壁にぶち当たったり、人間関係がこじれたり、
いつも体調面でも精神面でも安定してはいられません

リストラや引きこもり、怪我や病気など、働けないひとも多い中
元気で職があるだけありがたい話かもしれません
かといって、精神的に追い詰められてまで、
その仕事にしがみつくことだってないはずだけど

自分に合った仕事かどうかは、案外自分ではわからないもので
私も撮影所に入った当初は現場を目指していたのに、
産後に編集室に入って、天職だと思える出会いとなりました

夢とか現実とかの区別ではなく、
今この場所で、誠心誠意取り組むこと、
それが仕事ということだと思います
そして、取り組めることが実力なのだと思います


実力とは最初からあるものではなく
身につけていくものだから
折れない心を持つために自分を鍛えながら
一歩一歩前に進んでいけばいいのです

嫌いな作業であったとしても、
仕事そのものへの愛情を持って取り組みたい

だって仕事というのは対価である限り、
だれかが受け止めるということだから
そのいっときだけでも、相手のために頑張るべきで
その積み重ねが、
ある日、気づけば長くその道を極めているかもしれない

夢、と言われた撮影所を卒業して以来、
夢を見失って長らく迷走している私が
夢を持てないという若者たちにエールを送りたい
そしてやっぱり、自分自身にもね

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笑顔の強さと潔さを知る

2015/10/03 Sat

芸能ニュースには、あまり関心がない私でも
同い年で誕生日も近い、女優川島なお美の死は気になりました

54歳の死は、早すぎると言われても、
同年代の別れが多くなってきて、辛い年頃でもあるし、
私の両親はどちらも50代前半だったので
特にそれがショックだったわけではありません

その報道の中で、こころに突き刺さったことが、ふたつありました

ひとつは、夫がマイクを向けられて
   川島なお美は、最期まで、川島なお美でした
と言った言葉です

この時、そこにいたわけでもないのに、
彼女の女優としての誇り、強さを痛烈に感じました
そしてそれをしっかりと受け止める伴侶がいること、
満ち足りた最期だったことと感じ入りました

もうひとつは、数日後ご本人が
   笑顔でいれば幸せになれます
と語りかけている映像です

女優なら笑顔は当たり前、とも言えますが
この結果を知っている今となっては、
多くの人が感銘を受けたことでしょう

ただ、私が感じたのは、強さ以上の潔さです

つらい時にも笑顔を絶やさず…
などと美談的に言うことは簡単ですが
悲しみや苦しみ、肉体的な苦痛のある時に
笑顔は簡単なものではありません

だけど、そこをあえて笑顔を浮かべる、
笑顔を演じる、笑顔を装う、

ある意味、偽物の笑顔であっても
笑顔そのものから、自分を奮い立たせる行為が
潔さ、
と、感じたのです

私も何度か書いてきましたが
中学生時代、部活で今でいういじめに合い、
それはつらくて、暗い顔をして、心中悲劇のヒロイン、
苦しさを体現していたのだと思います
それを見ていた指導員(同級生のおかあさん)が
私を呼んで厳しく言いました

つらい時こそ、つらい顔を見せてはいけない

私はそれこそ、目から鱗が落ちました
その一言が、私の人生を変えたと言っても過言ではありません

私は悲劇のヒロインではなく、強いオンナを演じました

それによって、根暗感が薄れたこともあったのか
新たな友人関係も得られました
部活にもいっそう打ち込めました
それを言ってくださったおばさんの信頼感に包まれました

もちろんいいことづくめではありません
鈍感だとか、冷たいとか、いろんな受け止め方を知りました

それはトシだけ大人になった今でも変わりません

だからこそ、
確かに衰えていく体力の中で
そこに目を向けず、
今生きること、
今笑うことに精力を傾けた
川島なお美に真の潔さを感じるのです


彼女のような生き方を
誰しもができるわけではありません
誰しもが選べることでもありません

だけど学ぶことはできる
笑顔で生きるってことの意味

思わず爆笑できれば幸せ
くすくす笑えれば幸せ
ニヤリとできれば幸せ

作り笑いができれば、まずまず大丈夫
泣き笑いができれば、ますます大丈夫
人のための笑顔じゃなく
自分のための笑顔
苦笑いでも愛想笑いでも、笑顔が出れば大丈夫

笑えるのは、人間だけだから
いつもいつまでも、人間でいましょうよ

苦しすぎて今はできなくても、
いつかきっと笑える
イヤイヤ、
実は今すぐ、笑顔を作ることはできるはず

人生の最期に向かう彼女が
憐れむことじゃなく笑顔を選んだことに
男気、感じて
そして確かに、あなたの笑顔を受け止めましたよ

だから私も、
まだまだやせ我慢しながら
うんと笑っていきますよ



〜愚痴聞き以上カウンセリング未満〜

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自己否定の反対語思考から脱する

2015/09/05 Sat

あなたは幸せですか

と聞かれて、瞬時に、ハイ、と答えられる人は多くないでしょう

誰でも少なからず、
まぁ、満足はしているけど、とか
いやいや、不満はいっぱい、とか
あれこれ考えてしまいますよね

逆を聞かれたらどうでしょう

あなたは不幸ですか

ハイ、不幸です
と、真顔で答える人も少ないのではないでしょうか

幸か不幸か、という言葉もありますが
この場合はどちらとも言えないけど、という意味合いですよね

何かを考えるとき、人は自然に基準を設けます
黒か白か、好きか嫌いか、良いか悪いか、
こういう思考ってもしかすると
偏差値教育からきているのかな、なんて思えるほど
たいていは二者択一、ポジティブネガティブ、
正反対のことを考えます

だけど実際に生活していれば
評価はふたつではあり得ない
黒と白の間には、グレーゾーンもあれば、
とんでもなくカラフルなものもある

私の周囲には、頑張っているシングルマザーがたくさんいます
それぞれが、大変な過去を乗り越え、または乗り越えようと、
子どもを抱えて頑張っています

一様に明るい笑顔の裏には、
DVがあったり病気があったり子どもの障がいがあったり、
想像を絶する大変さを抱えている人も少なくありません

それでもみな、絶望せずに歩いていけるのは
自己否定をしないからです

もちろん弱気になることもあるでしょう
自分を責めたり、投げやりになることだってあるでしょう
でも、そんなことを感じさせない踏ん張りは
潔く自分の決断、生き方を推し進める雄姿に見えます

幸せの反対語は不幸でしょうか
肯定の反対語は否定でしょうか
裕福の反対語は貧困でしょうか

自己否定の傾向にある人は
他人にも二者択一を迫ります

私を認めるの認めないの?
私は必要なの不要なの?
私を愛しているのいないの?

その質問自体が間違っている、と言ったところで
承認の欲求がこころを占めています

だけどね、
世間知らずの子どもだった頃、
そんなことを考えて生きていたでしょうか

虐待などではないとすれば
愛された実感はないにしても、
そこそこ、こうして大きくなるまで
いのちも守られて育ってきているはず

その事実こそが
あなたは認められて
あなたは必要とされて
あなたは愛されている
という結果なんです

この事実があるだけで、
もうこんな問いかけをする必要はないのです

だからもう、不毛な反対語の考えをやめませんか
幸せの反対語は決して不幸ではないし
肯定してもらえなくても全否定ではないし
裕福じゃなくたってそこそこ生きてはいける


確かに、不幸な貧困の中の人格否定、
というものも存在します
あってはならない尊厳の否定です

そんな中で生きている子どもがいても
その子の中のすべてが不幸ではないと信じたい
こころの中の自由や希望まで否定できません

また、そんな事態に気づく大人でありたい
痛みを知っているからこそ、ひとの痛みがわかる
冷たさを知っているからこそ、温かみに感謝する

自己否定に苦しんだ分、ひとに優しくなれる、
ということを、私は周囲の人たちから学んでいます

私もまた、取るに足らない人間だけど
と、自己否定の淵に立ちつつも、
いやいや、こうして何かを書ければ、
まんざら捨てたもんじゃないかも、
なんて、自己否定ならぬ自己満足、
光の方に顔を向けよう、って自分を奮い立たせているんです

~愚痴聞き以上カウンセリング未満~
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人間は進化しない、変わるのは環境だけ

2015/08/04 Tue

太古の木簡から、
  
  イマドキの若者は…

というような文章が見つかったとずいぶん前に話題になりました

いつの世も、そのときどきのオトナが思うことは同じで
いつの時代も、若者のパワーは同じなんだな、と実感しました

青春の悶々の頃、人生の答えがほしくて本を読み漁り、
前時代の文学に触れても、文豪が今の自分と同じように悩み苦しみ、
答えを求めていたことを知るだけで、答えそのものは手に入りませんでした
学校で習った紀元前の旧約聖書にさえ、まったく同じ、

空の空、日の下にあるすべては空しい

とあって、親近感も湧いたりしましたが、結局のところ
人はなぜ生きるのか、人は何のために生きるのか、と、
人類最古にして最大の命題があるのみ

それはある意味、自分だけじゃない、という安堵もあり、
逆に言えば、人がどれだけ生きようが、答えはないという絶望感、
そんな混とんとした気持ちで思春期を過ごした覚えがあります

これだけ科学が進歩した現代の方が
若者が幽霊や死後の世界を信じる傾向にあると聞いたこともあります
モノの進歩や現実的な営みの中でも決して満たされない、
人間のこころの問題は、時が解決することなどない、
と、私は実感したのでした

そして外見ばかりがオトナになってしまった今、
改めて思うのです、

ロシアの文豪トルストイが、
人生を探求し、答えがないことに絶望して
何度も自殺の誘惑に駆られながら得た結論

人に知ることが許されているのは
なんのために生きるかではなく、
いかに生きるかである


そう、人はどんなにあがいても、
せいぜい100年くらいしか生きられない
なにかを見届けることも出来なければ、
思いのすべてを残すことも出来ない

同じ限られた人生なら、
おもしろおかしく暮らすひともいるけれど
決してそれだけでは、ひとのこころは満たされないのです

今を生きる、
と、よく言われますね、
一寸先のことは分からないご時世、
悔いのない人生を過ごすために、今を精一杯、

そして、この今日という一日は、
だれかがどうしても生きたかったのに生きられなかった、
大切な明日という一日だったかもしれない、ということ

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お前が無駄に過ごした”今日”は
昨日死んだ誰かが
死ぬほど生きたかった
”明日”なんだ
(出典はfacebook拡散なのでよく分かりません)



善く生きる

っていう表現があります
善く生きているかどうか、の判断は
他人がすることじゃありません

善く生きていますか

自分に聞いてみます
色よい答えは返ってこないけど
それでも自分なりには、
頑張って生きている気はします

それで、いいかな、

大きな答えを求めても返ってこないなら
小さな足もとを踏み固めて
ぼちぼちいこか、ってね

いつも書いているけれど、
久しぶりにもう一度書きましょう

ピーナツ村の住人、
がみがみ屋のルーシーが、
スヌーピーの飼い主でもあるチャーリー・ブラウンに尋ねます

ルーシー「人はなぜこの世に置かれたの?」
チャーリーブラウン「人を幸せにするためさ」
ルーシー「だれかさんたら仕事をサボってる」

ケイタイやパソコンがあって当たり前の時代でも、
ひとの悩みの本質は全然変わらない
人間なんて、しょせんそんなもん、

そう知っていれば、悩み過ぎずにやり過ごす術も
少しは身について、善く生きるこころも磨かれるのかな…

なんて、夏バテしながら思っています



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プロフィール

happonta

Author:happonta
28歳のぶっ飛び長女・25歳社会人長男・末娘は家出中に成人したシングルマザーです…>_<…
小学校受験・中高一貫校受験・大学受験を体験、娘の高校中退や更生も体験しています。家出もね…>_<…
サービスディにはいそいそと映画館通いをしています。
我が道を行く55歳☆
一人株式会社も5年目に突入です♪
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本音全開のアメブロでは偏屈ぶりが話題??
想像力と現実逃避、サービス精神で生きてます^^

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